新卒で生保レディになった話。退職編

生保レディの話

退職に至るまでの話はこちら↓↓

 

ついに最終章です。
ようやく退職のお話を書きます。
今回は特に事件は起こりません。退職までの日々は穏やかなものでした。

 

順調だったはずのコールセンター勤務、なぜ退職を決意したかは前回書いた通りです。
本当にお金が足りなくて生きていくことに不安しかありませんでした•••。

 

今回の転職活動もエージェントにサポートを依頼しました。
エージェントについてもらったのは大手の2社で、それ以外はサイトを見ることもしなかったかと思います。

エージェントのいいところは、お願いすれば面接対策や履歴書のチェックを行ってくれること、また、自分では考えてもいなかったような会社を勧めてくれるので視野を広くできるところかなと感じました。

入社から3年間きつい営業を耐えた点が評価されてか、履歴書の通過率は割とよかったと思います。
しかし、だめだめなのが面接でした•••。

書面ではよくても、実際の自分を評価されないのは悲しいものです。
一次面接で何社落とされたか覚えていません。数えるのはやめておきます(笑)

本当に面接苦手•••。

   

給与明細を見て絶望した春からあっという間に秋になり、冬がはじまりました•••。

エージェントからはあまり興味のない案件を紹介され続け、ここにきてようやく自力で応募を始めます。
サイトの中にはエージェントが紹介してくれる案件もあれば、応募から選考、事務手続きなど全てを自分で行う案件もあるのです。

今働いている会社は自分で選んで、自分で調整や交渉などのやりとりをした会社です。
ご縁があるときは早いもので、書類選考から内定まで2~3週間ほどだったかと思います。

こうして1月末頃だったか、ついに人生2つ目の内定を手に入れたのです。

人生で2つ目って•••

  

決まってしまったから、もう退職の意を伝えるしかありません。
当時の上司たちは厳しくも優しくて、せっかく本社に来たのだからとたくさんのことを経験させてくれました。
いつ伝えるか、まず誰に伝えるかと考えていたところタイミングよく面談が組まれたのです。(この面談は単に仕事どう?みたいな話をするための面談でした。)

 

個室に呼ばれ、直属の上司に『仕事慣れてきたかな、嫌なこととかない?』と聞かれたたぬき。
タイミングもくそも考えず最初に飛び出してしまった言葉が『年度末で退職します。』でした。

そこからはその上司の上、更に上、更に上と立て続けに面談でした。

『今すごく成長している途中だよ。』『もっと頑張って欲しい。』『何かできることはない?』などたくさん引き止めるための言葉をもらいました。

営業の時の対応とは大違い。
退職の話をなかったことにしようなんて空気はまったくありませんでした。
(そもそもなかったことにしようとするのが異常ですね。)

 

お給料が減りすぎて生活が厳しいこと、先のことを考えても元の水準に戻すのに時間がかかりすぎること、家庭の事情で親に頼るのは絶対にしたくないということ•••こんな感じのことを伝えたと思います。

仕事内容、環境にまったく不満はなく、給料の面が問題なければまだまだ働いてみたかったというのが本音です。
なんだかんだいっても大手の本社勤めというのは恵まれたもので、たくさんの刺激と恩恵がありました。

さすがに給料面は誰にも解決することができない問題で、最終的には年度末で退職することの承諾をもらいました。

 

営業の間は当然有給を使うタイミングなどなかったため、4年目の秋頃に40日以上の有給が残っていました。(これでも異動してからかなり消化したはず。)
いい顔したかっただけですが、たぬきは有給消化でなく退職までの1ヶ月は出勤を選びました。
まだまだ職場の方とお話したかったし、残業代がつかないとそれはそれで生活が大変だからです。

辞めるからといって不当な扱いを受けたり、嫌味を言われたりすることはまったくありませんでした。

マラソン大会や忘年会など退職までの間にもイベントがあり、気まずい思いをすることなく、むしろ楽しく参加できていました。

年度末の飲み会では上司から『またいつでも戻っておいで。』と激励とともに温かい言葉も頂きました。

 

最終日、午前中はいつも通り電話対応をし、午後からは片付けと挨拶回りの時間となりました。

 

たぬきへの教育の時間は無駄だったといっても過言ではない行動をとってしまったにも関わらず、教育担当の方や同期からは寄せ書きと花束を頂きました。
辞めるのにこんなに素敵なことをしてもらえて、たぬきは本当に幸せ者でした。
自分で言うのもあれですが、結構かわいがられていたなと(照)

 

夜には同期たちに送別会をしてもらい、短い期間の思い出を振り返りました。

こうしてたぬきの生保人生は終了しました。
退職してからしばらく経ちましたが、あんなに嫌いだった会社も今では少し懐かしいです。

喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉の通りかもしれませんが、異動してからは本当にいい環境だったと思うので時々戻りたくなることさえあります。

営業だけはもう2度と選びませんが•••

 

 

大きな大きな会社ビルで、誰もが名前を知っている企業の本社勤務、肩書きはかっこよかったなと思います(笑)

 

こんなところに書いてどれだけの目に止まるかわかりませんが、我が社の求人はいきなり本社勤務を募集しているものもありました。

営業なんてならずに本社組織で働くこともできるのです。
営業として入社後退職、その後本社勤務として再度採用されてきた方もいました。

上記のような転職もできるようなので、営業職として悩んだ方は参考にしてください。

  

 

最後にたぬきが某生命保険会社で働いてよかったこと、悪かったことをまとめておきます。

①国内生保は大きな会社が多く、制度やルールが整っている。
②福利厚生がずば抜けて良い。(エージェントにもこれ以上はないと言われました。)
③挨拶やマナーに厳しいので社会人としてのマナーは身に付く。
④大手の割りに古臭くなく、若者の考えにも柔軟に対応しようとする雰囲気はあった。
⑤会社がお金持ちなので倒産の心配が一切ない。

①営業職ははちゃめちゃきつい。
②営業バリバリか総合職じゃないとお給料はそんなによくない。

 

意外と悪かったこと少ないな。たぶんそれはたぬきが営業だけで終わらなかったせいだと思います。
ちなみに営業職のことぼろかす言ってきましたが、未だ営業としてばりばり楽しく頑張っている人もたくさん知っています。
これは本当に適性だと思います。

 

また、コロナで世の中が変わってから思ったことですが、倒産の心配がないというの本当にすごいことなんです。
余計な心配をせずに働けるのは素晴らしいことですね。

 

なんやかんやいって、この4年間というのは貴重な時間だったと思います。
保険の知識がついたことも、大手で働けたことも、電話対応によって正しい日本語が身についたことも、自分の身になることが多かったです。

 

以上が新卒で生保レディになってから退職するまでの話です。
結構書き損ねたこととか、伝えられなかったことがあるなあと思っているので、また別途記事を作るかもです。

 

ここまで読んで頂き本当にありがとうございました!

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